こんにちは。Global Bridge Network(GBN)の横田美保です。今年はコロナの影響でイベントの開催・参加ができず、皆さんとお会いする機会が持てないので、私を含めGBNスタッフはとても残念に思っています。
<ウガンダ以外のアフリカの国を知っていますか?>
さて、GBNはこれまでウガンダにおいて活動を行ってきましたが、アフリカ大陸には、現在54の国(AU加盟国数)があります。皆さんは、モザンビークという国を知っていますか?もしかしたら、ニュースなどで名前を何となく聞いたことがある人もいるかもしれません。アフリカにはたくさんの国がありますが、日本では個々の国については、知られていないのが現状です。そこで、私が2009年から2018年5月までの約9年間駐在していたモザンビークの魅力について、お話させてください。
<モザンビークってどんな国?>
首都のマプトに住んでいたときには、乾季(1年の中で寒い時期)は長袖にジャケットが必要なくらい寒くなりますが(暖房はありません)、北部カーボデルガド州のペンバに住んでいたときには、ほぼ1年中半袖とサンダルで過ごせるくらいの気温で(北部はより赤道に近いので)、1年のうち半分くらいは、日本の最も暑い8月と同じような非常に蒸し暑い気候でした。それなのにインフラが脆弱で頻繁に停電するので、扇風機もクーラーも止まってしまうこともしばしばで、蒸し風呂のような事務所で業務にあたることも多かったです。
2011年マカネタビーチにて
<歴史>
第二次世界大戦後も植民地支配を継続していたポルトガルに対抗するため、1962年にモザンビーク解放戦線(現政権与党・FRELIMOの母体)が結成され、1975年6月25日に独立を果たしました。しかし、その後米ソ冷戦下の代理戦争である内戦が約17年間にわたって起こり、国土は再び戦渦に見舞われました。
2009年モアンバ郡シニャンガニーネ村にて回収された武器と地面に突き刺さった不発弾
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1992年10月4日にローマにおいてモザンビーク包括和平協定が調印されました。同年12月には国連安保理決議により国連モザンビーク活動(ONUMOZ)が設立され、1995年1月まで約2年間の和平プロセスが実施されました。日本からはONUMOZに対し選挙監視要員、司令部要員、及び輸送調整部隊としてアフリカで初めて自衛官が派遣されました。
内戦が終結した後は、比較的安定した政情のもと、戦後の復興と、経済・社会の開発が進展してきました。しかし、同国には、内戦中に冷戦をバックアップしていた米ソを始めとする国々から大量の武器が流入したため、その武器(銃・ミサイル・地雷など)が民間に残されてしまいました。この武器を市民の手で回収し、生活物資と交換することで武装解除・平和構築を進める取り組みが行われました。この取り組みについては、次回お話します。
内戦を戦った政府与党フレリモと、野党レナモの間には政治的な緊張関係が存在し続け、中部・北部州においては、しばしば武力衝突が起こってきました。2017年に両政党間で和平交渉を進めていくための合意がなされ、この合意が今後も継続していくかが注目されています。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
信長はその黒人男性を「弥助」と名付け、武士の身分を与えて家臣にしたと伝えられています。弥助は訪日した最初のアフリカ人とされています。狩野内膳の
『南蛮人渡来図』には、日本に到来した宣教師などが黒人奴隷の召使いを従えている様子が描かれています。
次回は日本とモザンビークの意外な関係についてお話しますのでお楽しみに!
(Vol.2に続く)
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